天倪琴社とは
天倪琴社(てんげいきんしゃ)は、京都市にある琴館・琴教室です。
琴館とは、琴を教えたり琴を囲んで集ったりする場所のことです。
当琴社では琴(古琴・七弦琴)を愛好する輪を広げ、ともに楽しむための活動を行っています。
琴は古来漢民族の楽器として尊重され、演奏され続けてきた楽器です。
そして、皇帝が嗜むものとして認識され、士大夫の教養ともされたことから、文人必須の音楽・楽器となりました。 (「古琴」のページに詳しく書いています→こちら)
天倪琴社では、文人の嗜む琴の世界を探求することを目指し、琴の思想的・歴史的・楽理的知識もともに学びながら、琴に親しむことを目指しています。
天倪とは
「天倪」(てんげい、tiān ní)とは、古来、 文人が老荘思想を用いて自然を語る時に度々使用してきた言葉で、 本来は「自然の境」の意味です。
莊子は『「天均」は「天倪」である 』と述べます。
「天均」とは、 宇宙の万物の相違はすべて人の主観によるものであり、本来均平無別、つまり何事にも区別がない状態であることを指します。
それは、究極には、時間や生死さえも区別がなく、最終的には全く区別のない境地に達するといいます。
それが「天均」(自然均平の理) であり、 だからこそ 「天均」 は自然の境を意味する「天倪」であるとされます。
つまり、「自然の境」とは「何ものも区別しないこと」であり、「自然の無によって人の心の執着を解きほぐすことができる」と述べるのです。
言い換えれば、天道には私心がなく、万物は平等であり、自然の境目は自然であるのです。
それを受け入れることによって、人は心の執着を解きほぐし、自然と一体になることができます。そしてそれを理想としました。
このことには、元来「琴」が有する根本的な性質、琴を弾くことによって目指す究極の目的が現れていると考えます。
そのような 「天倪」 の境地を目指す 「文人の琴」を理想として「天倪琴社」と名付けました。