ご近所では梅が終わり、木蓮の開花が始まりました。
春を告げる木蓮は、
大ぶりの花なのに清楚。素敵ですね。
木蓮を見ると、必ず《離騒》を思い出します。
離騒は、中国の戦国時代の楚の政治家で詩人の屈原(B.C.343-278)が詠んだとされる詩です。
離騒は楚の国で作られた辞を集めた詩集『楚辞』所収の詩であり、
『楚辞』を代表する作品でもあります。
屈原は楚の名門公族の出自で、学問にも優れ、懐王からの信頼も厚かったのですが、
のち左遷され、秦に滅ぼされていく母国を憂いて汨羅江(べきらこう)で入水自殺をしました。
彼の体が魚に食べられないように、人々が粽を川に投げ込むようになりました。
5月5日は屈原の命日と伝えられ、これが端午の節句の粽の発端とされています。
さて、その屈原が作ったとされる離騒は、374句から成る非常に長い詩です。
内容は、自らを投影した想像上の貴族の男性である霊均の出自から始まり、
政治の世界で失脚した苦悩と憂愁を訴える前半から、
天地を遍歴するけれどもそこでも希望は達成できず、
ふと下界を見れば、懐かしい故郷が見えるも、賢者はおらず、
もはや望みもない、彭咸の元に行こう、という後半と乱で終わります。
彭咸とは、古注に依ると、殷の賢臣で主君を諌めたけれど聞いてもらえずに
川に身を投げたという人物とあり、
屈原が最も慕ったとされる理想の賢臣です。その生き様はまさに屈原と同じですね。
この、屈原の「離騒」に、木蓮が出てくるのです。
「朝搴阰之木蘭兮,夕攬洲之宿莽。」
朝(あした)に岡の上の木蘭を摘み、夕(ゆうべ)に中州の宿莽を取る。
もう1箇所、
「朝飲木蘭之墜露兮,夕餐秋菊之落英」
朝(あした)に木蘭の露を飲み、夕(ゆうべ)には秋菊の落英(花びら)を餐う。
節度を守り日々正しく清廉に生きることの例えに使われているのが、木蓮です。
美しく、香り高く、汚れなく天に向かって咲き誇る、春の花。
この離騒の詩を元にした琴曲があります。《離騒》。そのままですね。
晩唐の僖宗(874~888)の時代の陳康士という琴師が作曲したとされる曲です。
楽譜の初見は1425年刊行の『神奇秘谱』で、それ以後様々な楽譜に掲載され、
現在でもよく弾かれます。
木蓮を見ると、いつも《離騒》の旋律が頭に浮かびます。
遠い昔の屈原の、憂愁と絶望に思いを馳せながら
清々しいほどの高潔さの象徴のような木蓮を愛でましょう。
お隣の赤い木蓮は、まだつぼみです。
隣り合っているのに、毎年咲くタイミングがずれています。
不思議ですね。
ここ数日急に涼しくなったので、しばらく楽しませてくれそうです。