大学時代に大変お世話になった先生が
「弟子」という概念について、よくお話されていました。
卒論指導、修論指導などをしたからといって弟子ではない。
自分の研究に対する姿勢や考え方、思想を受け継ぐ者が弟子である。
だから自分が弟子と認める者は数人しかいない、と。
生徒と弟子。
この2つは似て非なるもの。
当時の私にはよくわかりませんでしたが、
私も教える立場になって久しい今ではよくわかります。
さて、もう5年以上、
ありがたいことに、私の琴を受け継ぎたいと言って
ずっと真剣にレッスンに通ってくださる生徒さんがいます。
毎回レッスンの度にいろいろなお話をしていきますが、
その中で名前の話になり、
ふとしたことから、その生徒さんに雅号を授けることになりました。
生徒さんはそれを大変喜んでくださり、
中国式の弟子の礼をとってくださいました。
大変感慨深い時間でした。
先生側からも弟子として認めることを考えますが、
弟子側からも先生の弟子になることを選択するのです。
人間関係はすべて相互の関係。
どちらが上下ということではなく、人と人との大切なご縁。
お弟子さんは今回の記念として、普洱茶をくださいました。
秦の時代の詩のタイトル『山有扶苏』の名を冠した普洱茶。
山有扶苏,隰有荷华。(山にふすま有り、西には花がある)と続く詩で、
ちょうど箱に一見梅に見えるような花が描かれていたので
琴の名曲《梅花三弄》を弾けるようになったら
一緒に開封してお茶を楽しみましょうと約束しました。
このご縁を大切に、ありがたく思いながら日々を過ごし、
いつの日か一緒にいただく日を楽しみにしたいと思います。