古琴は中国の伝統楽器です。ここでは古琴について説明します。
「琴」の文字と指す楽器
琴」の字は、現在の日本では、いわゆる「おこと」と呼ばれる箏(地歌箏曲の箏)を指すことが一般的です。日本人の九割以上が「琴」の文字を見ると「こと」と読んで箏を思い浮かべるでしょう。しかし、本来「琴」は「キン」と読み、中国古来の伝統楽器を指す、固有名詞です。
「琴」を「こと」と読み、箏を指すようになったのは、日本の伝統に依ります。古代、日本では弦楽器のことを「コト」と称しました。箏は「ソウのコト」、琴は「キンのコト」、琵琶を「ビワのコト」と呼んでいたのです。
ところが、「琴」は平安時代中期頃には廃れてしまいました。弦楽器は他に和琴(ワゴン)・箏・琵琶がありましたが、和琴は日本古来の特殊で重要な楽器であり、別格扱いであったこと、琵琶は形状が違うこと等から、これらにはコトという言葉があまり使われなくなっていきました。
「コト」という名称が箏しか指さないのであれば、わざわざ「箏のコト」と呼ぶ必要もなく、コトという言葉が箏を指すようになっていきました。そして、廃れてしまった「琴」の文字が充てられることもしばしば起こり、結果として、「琴」を「コト」と読み「箏」を指す、という習慣が定着していきました。
実際に、江戸時代でも「琴」の文字で「こと(=箏)」を指すことが一般的に行われています。
さらに、第二次世界大戦後の科学技術の発展のなかで、1949年に制定された産業標準化法(JIS法)で国家標準としてJIS漢字コードが定められました。それはさらに使用頻度の高い第1水準と比較的使用頻度が低い第2水準に分割されました。この際、「琴」は「コト」と読んで第1水準に、「箏」は第2水準に分類されました。これが一層「箏」という文字をさらに馴染みのないものにするきっかけとなり、日本の「おこと」は「琴」と書くことが完全に一般化してしまいました。
しかし、「琴」は本来、「キン」と読み、中国古来の伝統楽器、7弦の弦楽器を指します。
中国でも、昔は「琴」の文字は「キン」を表していましたが、現代的には「鋼琴(ピアノ)」「揚琴」などのように、弦楽器を表す文字として使われることが一般的になっています。したがって、琴の楽器や音楽を指す場合、現代中国では「古琴(コキン、guqin)」と呼びます。
(古琴は古いおこと(箏)のことではないので、ご注意ください)
琴は7弦なので、七弦琴と呼ばれることもありますが、古くは一文字で琴(キン)と呼びました。したがって、当琴社では一文字で「琴」と呼んでいます。
琴の歴史
琴は中国の伝統楽器です。
神話時代の神、伏義や神農が作ったとも、また5弦であった琴を文王・武王がそれぞれ1本ずつ追加したなど、伝説が語られますが、最古の文献は周時代の詩を集めた『詩経』です。その中に琴にまつわる詩が収められていることから、周時代にはすでに琴が演奏されていたことがわかります。
楽器の出土としては、戦国時代初期の諸侯の墓である曾侯乙墓(そうこういつぼ)から10弦の琴が出土していますが、7弦としては戦国時代の楚の国の諸侯の墓とされる郭店一号楚墓(かくてんいちごうそぼ)から出土したものが最古であるとされています。 漢時代にはすでに楽器は現在の形になり、それ以後ほとんど変化がなく受け継がれてきたと言われています。
戦国時代の士大夫(貴族)伯牙は琴の名人として有名で、その琴をよく理解した親友の鐘子期を聞き手としてよく琴を演奏していたが、鐘子期の死後、伯牙は弦を絶ち二度と弾かなかったという逸話が残っています。このことから、「知音」(ちいん)という言葉がかけがえのない親友を指す言葉となるなど、琴にまつわる言葉や文化は様々あります。
また戦国時代初期の儒教の祖である孔子も演奏したことが知られており、そのことから、儒教を志す人は学習すべき楽器として、儒教との関連を強調されるようになっていきました。 漢時代に儒教が国教とされると、儒教が全国的に普及することで、琴もまた儒教とともに修養すべき音楽として位置づけられました。
一方で、琴は聖人君子、特に皇帝が習得すべき楽器とされたことから、皇帝やその周囲の士大夫たちの必須の修養とされ、特別な楽器となっていきました。
三国時代になると、戦乱や朝庭での権力争いを避け、隠遁生活を送るようになった士大夫たちが、自然に囲まれた自分の領地(=田舎)で文化的生活を送る人たちが増えました。彼らを文人と呼ぶようになります。
文人は自然の中で琴棋書画に親しむ生活をおくります。彼らは政治の近辺に存在する儒教のあり方を嫌い、老荘思想的自然的世界観を愛好したことから、琴は老荘思想的自然描写を展開するようになります。それは芸術性を飛躍させる結果となりました。
唐時代になると、国際色豊かでおおらかに花開いた華麗な文化的素地のもと、琴も西域の音楽や中国古来の俗楽を演奏するなど、幅広く展開していきます。
唐代半ばまでは文字譜と呼ばれる、奏法を言葉で説明した楽譜が用いられていましたが、中期以降、漢字の一部を記号化し奏法を表す「減字譜」が開発され、次第に減字譜が使用されるようになっていきます。宋時代までには減字譜が定着し、以後現在まで減字譜が使用されています。
宋時代は、儒教の影響が強くなり、琴の精神面が定義されるようになりました。この頃から琴は非常にストイックな楽器となり、その精神性は琴の基礎となって現在まで続くなど、 現在の琴文化の基礎を築いた時代と言えます。
明時代には、数多くの楽曲が作曲され、楽譜も多く編纂されました。現在残存している楽譜は、ほとんど明時代以降のものです。演奏技術も飛躍的に発展しました。清時代は、理論化、整理が進み、様々な理論書や楽譜が編纂されました。
近代には、文化大革命で大きな影響を受け、奏法が変化したりしました。一方で、1977年に地球外生命体に向けて地球の文化を知らせるために打ち上げられたボイジャーに掲載されたゴールデンレコードには、各国を代表する音楽が録音されましたが、中国は伯牙にも因む琴曲《流水》を録音しました。また、2008年に実施された北京オリンピックの開幕式でもやはり《流水》が演奏されました。
2003年、ユネスコの無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、2009年9月に無形文化遺産として正式登録され ました。
これを受けて、現在中国本土では、古琴が大変な人気となっており、学習者が非常に増えている状態となっています。
楽器について
琴は、長さ3尺6寸(約130センチ)、幅は6寸(約20センチ)、厚さ2寸(約5センチ)で、形は様々あります。
材質は表板は桐または杉、裏板は梓を用い、箱型に精製されます。頭部(琴首)に岳山(がくざん)、尾部(琴尾)に龍 齦(りゅうぎん)、表面上部に 13個の徽(き) が付けられ、全体に漆が塗られます。
裏面には雁足(がんそく)が付けられ、それを挟んで龍池(りゅうち)と鳳池(ほうち)の2つの音孔が開けられています。
弦は7本で、演奏者側からみて向こう側(外側)から手前(内側)に向かって、1~7と呼びます。(昔は宮商角徴羽文武と呼びました)
弦の材質は、昔は絹弦でしたが、現在はスチール弦を用いるのが一般的です。近年スチール音が押さえられたスチール弦の芯にナイロンを巻いたナイロン弦(冰弦)もよく用いられるようになりました。
絹弦は現在でも用いられますが、中国ではそれほど多くありません。
弦の長さはすべての弦でほぼ同じですが、太さはすべて異なり、1弦が一番太く、7弦にが一番細くなります。
弦は岳山の左側に開けられた穴から糸を撚った絨扣(じゅうこう)を輪にして通し、それに弦の蠅頭(ようとう、結び目のこと)を通して引っ掛けるようにします。琴の表面を這わせた弦は龍齦から裏に回し、雁足に3本と4本ずつ結ぶことで張ります。
絨扣は裏板側で軫(しん、糸巻きのこと)に結び、軫を回転させることで調弦を行います。